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感覚とは何ですか?

感覚に関する以上の議論が正しいとすれば、神経系統を経て知覚される客観は「無意識的に因果性を設定する知覚の機能によって生じたもの」であり、「認識作用から独立して物が外部に客観として、感覚される事物それ自体が存在している」という一般に広く浸透している考え方は否定される。

知覚と感覚の違いは何ですか?

知覚は対象性と意味をもち,空間的・時間的な広がりをもつことが多いが,感覚にはそれらがない。 たとえば,バラの香りを嗅ぐのは感覚であるが,それによりバラの花の存在を感じることは知覚といえる。 色が赤いと見えること自体は感覚であるが,信号機の赤信号は空間的に定位され意味をもって知覚される対象である。 純音を聴くのは感覚であるが,ピアノが発する音楽や人の話を聞くのは知覚といえる。 【知覚と知覚対象のずれ】 われわれが知覚している世界は,客観的・物理的世界を忠実に写したものではなく,かなりのずれがある。 これは単なる間違いでなく,注意深く見ても,聞いても,大きさや長さや傾きや位置や音や重さが,客観的・物理的なものと違って知覚される。 これを錯覚illusionという。

「~によって感覚が発生する」とはどういう意味ですか?

例えば鳥に近づくと逃げるが、鳥の網膜に映った像は、網膜に起きた単なる身体内部の変化ではなく、「外部による刺激によって」生じたという推論を無意識的に適用されなければ、どうしても逃げるという行動が起きえない。 このことから明らかなように、「~によって感覚が発生する」という認識の仕方は、既にその内に「 因果関係 」を推論する形式が介入している。 この形式はカントの言うような抽象的な概念による推論ではなく、時間と空間と同様、経験が経験として成立するための条件であり、我々を含む動物や虫に共通の、認識一般を生じさせるための条件である。 つまり、カントが言うように、時間と空間に生じる経験はただ「与えられる」のではなく、時間と空間と同様、因果性を適用される手続きを経て初めて認識一般が生じるのである。

感覚は知覚の前提過程ですか?

その意味では,感覚は知覚の前提過程といえる。 環境と生活体において,刺激を環境情報として,人間をその情報処理者として考えた場合,感覚は生理レベルの比較的低次の情報処理過程であり,知覚はその感覚的体験の適切な解釈を行なう過程とされる。

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